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悪口には「お陰で書くことができた」
「ペンは剣よりも強し」と言ったのは、枢機卿リシュリューである。名言として、現代でも文筆業者、特に新聞記者などが、憎い相手に筆誅を与えたりする時に便利に引用している。しかし本当にペンつまり文筆の力は、剣つまり戦闘力より強いのだろうか。剣というのは今では権力の意味にも使われていて、新聞記者や雑誌記者などが政権の中枢にいる人物を攻撃しようとする際にもこの諺を使っている。
しかしこれは、とんでもない間違いであろう。リシュリューは「権力のもとではペンは剣より強い」と言ったのであり、それが間違えて伝えられているのだ。リシュリューは国家に反逆を翻し、反乱を企む輩に対して、いつでも逮捕状や死刑執行命令にペンでサインできるのだぞと脅したのである。
憎い相手に報復しようとして、悪口を書くことで自我の平衡を保とうとすることはしばしば行われることである。昔、水上勉が園遊会に招かれて出席しているところを取材しようとした週刊誌記者が、こんなところで取材はやめろと水上さんに怒鳴られ、自我の平衡を保つためにそのことを報じた誌面で「肩にはフケがつもっていた」と書いた。こういういやみは記者の品格の低劣さを公言しているようなもので、効果はマイナスである。
ペンによる報復はせいぜいその程度であると認識しておいた方がいいだろう。それ以上の悪口は「ペンの暴力」となり、訴えられて筆禍事件となることが多い。ならないのは相手が弱い立場の人だった場合であるが、人権意識が進歩している現代、相手が何もできないだろうと思って悪口を書くとひどい目に遭う。
例外的には、書くぞと脅すだけで効果的である場合がある。以前行きつけのバーで飲んでいる時、酒癖が悪いので有名な出版社の社員がからんできた。あまりしつこいので、おれは大声を出した。「いやあ。面白い、面白い。お陰で明日、書くことができた」
彼はぎょっとして黙ってしまい、どこへ書くつもりだと訊ねた。
「さあね。朝日にも連載してるし、週刊誌にも」
彼は黙ってしまったが、こういうのは相手がおれを筒井康隆だと知らず、しかも自分の身分や名前をおれが知っていることを知らなければまったく効果的ではない。
しかし今ではブログというものがあり、誰でも書き込めるインターネットの会議室もある。相手の身分や名前を知っていれば、そういうところへ書いてダメージを与えることができる。こうした書き込みによってぶっ潰れた企業もあるくらいだ。だがそのような行為にはあくまで社会正義の裏付けが必要であろう。どこまでが社会正義かという議論になるとまた別の問題になってしまうが。
むろん本当に書き込まなくても、前記のおれのように「いやあ面白い面白い。お陰でブログに書くことができた」と言うだけでもある程度の効果はあるかもしれない。
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