“たとえ話ですが、以前に、古物商の跡継ぎを育てるというエッセイを読んだことがあります。古物商には偽物がたくさん持ちこまれます。それに対して、形式合理性で考える人は、時代考証を勉強すればいいというかもしれません。 しかし時代考証的には完璧な偽物もあれば、時代からはずれた本物もあります。そもそも若い小僧さんは、知識など詰め込んでも、どうせ勉強なんかしないし、わからない。それよりも、本物のいい骨董品だけ見せるのだそうです。偽物は見せてはいけない。本物と偽物を比較対照させたりすることもしません。 そうしてある閾値を超えると、本物の骨董品だけ見続けた小僧さんは、時代考証の知識などなくても、偽物が入ってくると「あれ、何か違うな」と感知するようになります。そのような能力こそが重要なのであって、それを身につけたあとで時代考証を勉強すればいい。時代考証は、なぜこの品はだめなのかをお客さんに説得するときに必要であって、古代ギリシャでいえば「雄弁術」に属するものです。”
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小熊英二『社会を変えるには』, P241
本物の骨董品だけ見続けた小僧さんは、時代考証の知識などなくても、偽物が入ってくると「あれ、何か違うな」と感知するようになります。
(via nobabaclip)